平泉の世界遺産登録延期は事実上の落選だといわれている。
延期の理由は「顕著な普遍的価値が証明されていない」というものだった。国道や高速道路そして新幹線が対象地域を分断し、高圧線の鉄塔も立ち並ぶこの一帯を世界遺産にしようと考えるのは無理があることを遠回しに指摘された結果となった。「この地域の歴史的価値を本気で大切にしてきたのか」と。
平泉奥州藤原文化を築いたのは藤原清衡。
清衡は横手の金沢の清原一族の元で子供時代を過ごした。
彼はもともと岩手の豪族である安倍一族の人間。前九年の役で清原一族に討ち滅ぼされて、母親とともにここに連れてこられた。
やがて後三年の役がおこり、最終的に清衡が生き残り奥州藤原家の祖となった。清原一族は滅亡した。
後三年の役とは一言でいうなら「身内の争い」だった。
「清原家に婚約のお祝いを届けに行ったら、碁に夢中になっていて相手をしなかった」というのが直接のきっかけとされているが、その背景にあるものがジツは本当の原因ではないかとワタシは思う。
当時の清原の当主は、清衡の他に実子も生まれていた。にもかかわらず、養子を迎えその養子に嫁を取ろうとした。これでは身内に不満が出るのは当然だ。
なぜそんなことをしたのか。
それは、強大な勢力を持っていたとはいえ所詮俘囚にすぎなかった清原一族が、皇族の流れをくむ人間を迎え入れることで、より「家柄」のブランド価値を上げようとしたためだろう。「血は争えない」というし「血は水よりも濃い」ともいうが、そこを理解していなかったと思う。
我が家から10分程度のところに、後三年の役をテーマにした「平安の風わたる公園」があるので先日、行ってみた。
後三年の役ゆかりの四人の人間がスクエアに向かい合っている像がある。それぞれ何か言いたいのではないかと思うような、そんな緊張感がある像だ。
蛇足ながら「藤原清衡」は「清原清衡」と表示すればよかったのではないだろうか。
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